奥出雲町遺産 第12回認定

最終更新日:2026年09月18日

【認定No.96】奥湯谷の観音堂(推薦:奥湯谷上自治会)

96.奥湯谷の観音堂 認定証用

 この観音堂は、奥湯谷金倉弘美さん宅前の川向こうに安座されています。この地は、櫻井家五代目の源兵衛利吉が享保15年(1730)頃から7年間たたらを吹き、その後約40年を休み、明和6年(1769)から8年間、再びたたらを創業した場所になります。

 たたら製鉄のためには多量の木炭を必要としたため、付近の山林の多くが伐採され、牛馬を育てる牧場として利用できました。明和8年(1771)頃、全国的に牛馬の悪い疫病が大流行したため、源兵衛利吉が発願し、馬頭観音様を安置して牛馬の安全と吉祥を祈願し、安永5年丙申(1776)9月25日に建立しました。

 近年の御供養は、金倉家が春秋の彼岸やお盆に清掃して丁寧に御供養されています。

 

【認定No.97】伊能忠敬測量地点(推薦:原田自治会)

97.伊能忠敬の測量地点 認定証用

 伊能忠敬研究第77号(伊能忠敬研究会発行)等の資料によると、伊能忠敬は、測量開始から13年後の文化十年(1813)、第8次測量として、広島県から島根県の測量を行っています。

11月8日に広島を出発した伊能忠敬を中心とした12名は、11月23日、阿井から三沢の堅田を経由し、原田村字三沢町塗屋祐左衛門宅に宿泊し、式内三澤神社の社前で、位置補正としての天文測量を行っています。

 この測量地点を記した石碑は、表面に「伊能忠敬測量地点」、裏面に緯度、経度。側面に測量日と海抜が刻まれており、平成14年当時の三澤神社宮司 陶山親敏氏のお世話により、三澤神社の参道に建立されています。

 

【認定No.98】蔭凉寺の山門金剛力士像(推薦:原田自治会)

98.蔭凉寺山門金剛力士像 認定証用①   98.蔭凉寺山門金剛力士像 認定証用②

 三澤氏の菩提寺「松雲山 蔭凉寺」の山門の守護像、阿形、吽形の金剛力士像(木造)です。

 蔭凉寺の開創は約700年前、三沢城初代城主三沢為長の弟、玉林和尚の開山と伝えられています。三沢氏が芸州に移った江戸時代初期、要害山麓の四日市から、現在地に移寺し、天明2(1782)年、当初の「老松山 妙厳寺」から、現在の「松雲寺 蔭凉寺」に改称され、堀尾、京極、松平代々に帰依されました。

 山門の金剛力士像は、江戸時代末期の弘化年間(1845):棟札嘉永5年(1852)年に、京の仏師 山本茂祐が、弟子と共に蔭凉寺に逗留し、製作したと伝えられています。近隣の寺院には、現在木造の金剛力士像は見当たりません。なお、製作者の山本茂祐は、1902(明治35年)の平等院鳳凰堂の明治修理にも携わったと名高い京仏師です。

 

【認定No.99】三笠公園 下横田城跡(推薦:八川地区古市自治会)

99.三笠公園 下横田城跡

 仁多郡誌に、古跡として「『三笠山は所謂下横田城にして明徳二年山名満幸が横田荘、禁中仙洞御領を押領して築し所なり。後 足利将軍義満の命により佐々木高詮 之を討平せり。』〈大正8年(昭和47(1972)復刻)〉」と、由来が記されています。この押領に端を発し、明徳の乱がぼっ発しました。また、山名満幸より、下横田城の代官となった石原(宗政)氏は、後、三澤氏の家臣となり、三成の「石原」地区を含め、仁多郡内の石原氏の元ともなったといわれています。

 

【認定No.100】三澤氏墓と経塚(推薦:要害山三沢城跡保存会)

三澤氏墓

100.三澤氏墓 認定証用

 島根県指定史跡の要害山三沢城跡の麓、円正堂墓地に、三澤氏一族の墓と伝えられる場所があり、現在は四基だけの墓石が残っています。三澤氏が要害山に築城したのが嘉元三年(1305)とされ、この地から芸州に移る天正十七年(1589)までの284年間、三澤氏一族がこの地で暮していました。三澤氏の墓自体は各地に点在しているため、一族誰の墓とは不明ですが、要害山保存会では三澤氏の遺構としてパンフレットに記載すると共に、来訪者に三澤氏の墓を案内し、国人として出雲最大の武将となった三澤氏を偲んでいます。

経塚

100.経塚 認定証用

 備後から出雲大社参りに使われた古道を通り、三沢城三の丸に上る途中の古墳の上に「経塚」があります。

この経塚は、三澤氏追善供養と一族の繁栄祈願を祈りつくられたと伝えられています。経塚は、未盗掘で石碑の下に埋蔵されている経筒等は発見されていませんが、言い伝えでは三澤氏が経典を納めた塚の上に、石碑を建立したといわれています。

 此の塚は古道脇の高所に築かれ、昔から要害山の経塚として認識され、要害山保存会パンフレット等に記載し大切に保管しています。

 

【認定No.101】権現さん(推薦:佐白自治会)

101.権現さん 認定証用

 「権現」とは、仏が日本の神・王子に化身し、この世に現れ、多くの人々を救ったことに由来する仏教系神道の神であり、江戸時代には全国で崇拝されました。しかし、明治維新の神仏分離令後、その多くが、祭神のみを祀るようになりました。

 佐白の「権現」は、「雲陽誌」(1717年刊行)に、伊賀武神社など佐白12社と共に、夫婦和合の神とされる「事解男速玉男命(コトサカノオノハヤタマノオノミコト)」を祀る「王子権現」として記載されており、少なくとも300年以上の歴史があるものです。佐白の「権現」は、時代と共に、崇拝の形態も変わり、幾度か還座されたものと思われます。現在は、この地に祀られ、旧暦8月1日には、祭神として農業振興神である「瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)」を迎え、稲作の豊穣を願う「八朔祭り」として、氏子総出での斉行が行われています。

 

【認定No.102】大山さん(推薦:佐白自治会)

102.大山さん 認定証用

 平安時代以降、鳥取県の大山寺は、地蔵菩薩が衆生を救う仏であることから、山麓での牛馬の放牧を奨励し、牛馬安全を祈願する守り札を配り、牛馬への加護を願う人々を集めました。江戸時代になると、大山寺は、境内の「博労座」において、大山山麓の牧野で育った牛馬の取引を積極的に進め、西日本有数の牛馬市が開かれました。

 佐白の「大山さん」も、牛を貴重な労働力とした牛馬加護を願う人々により、大山から勧請されたものと思われます。現在はすたれていますが、往時には、年に1度の祭りが行われており、その際、竹笹を持ち帰り、牛に食べさせると良い牛になるとの言い伝えがありました。

 現在残る大きな石塔を、運んできた人々の苦労を思うと、人々の熱い信仰心が偲ばれます。

 

 

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