奥出雲町遺産 第6回認定
最終更新日:2020年3月24日
【認定No.72】八川八幡宮
八川本郷の小高い山の上に八川八幡宮があり、別名で尾園八幡や元宮八幡とも呼ばれています。全国の八幡宮の総本社は、大分県の宇佐神宮で、平安時代に石清水八幡宮として京都に勧請され、その後、源氏が鎌倉幕府の守護神として鶴岡八幡宮を営んだことから、武家の発展とともに全国的に祀られるようになりました。
八川の勧請については大きく2説あり、社伝では、建久7年(1196)に、将軍源頼朝が日本国中の一国につき八社の八幡宮を勧請した際に、出雲国八社のうちの一社として鶴岡八幡宮を勧請したものとされています。他方、享保2年(1717)に編纂された雲陽誌では「高徳山尾園村の八幡といふ、治承年中石清水より勧請す」とあり、京都の石清水八幡宮から勧請されたと記されています。また、郷土史家の故高橋一郎先生は、横田の一部が12世紀初頭に石清水八幡宮の荘園になる際に、八川方面が多く寄進されたことにより、八川に八幡宮が勧請されたと記されています。
その後、2度目の元寇となる弘安の役後の弘安4年(1282)に、北条時頼の後室である比丘尼妙音が願主となって、現在の横田八幡宮に移転しました。これは横田の斐伊川両岸の盆地が、開拓によって耕地が広がったことなどにより、荘園の中心が八川から横田に移動したためとも指摘されています。一方、移転元の八川も、祭礼、祭田等はそのまま残ったとされています。近年まで、氏子となる八川本郷、仲仙道、金川の各自治会からそれぞれ神輿を出して、神輿3台を使った押輿神事があり、今も境内に神輿が保存されています。また、祭りの際には、地域の子どもたちが、子ども用の神輿をかつぐなど、今もなお地域で大切にされています。
【認定No.73】田部大吉鑪操業拾年記念碑
大吉自治会と堅田自治会を結ぶ県道269号線の道沿いに、「大正五年九月二十三日 田部大吉鑪創業満拾年記念 山内中」と記された石碑がひっそりと佇んでいます。大吉鈩は少なくとも元文2年(1737)から鉄師櫻井家による経営が始まり、その後、経営者を変えながら断続的に操業され、最終的に鉄師田部家の経営となって大正12年(1923)に廃業しました。
江戸時代の松江藩では、享保11年(1726)に、藩内の鈩の数を制限しますが、以後も地域の経済対策として、期間限定で、鈩の増設を認める場合があり、天明8年(1788)以降から幕末にかけての大吉鈩は、こうした増鈩の一つとして操業されました。また、明治時代以降、たたら製鉄は長期的に衰退していきますが、このような中にあって大吉鈩は、地元関係者の願い出により、明治39年(1906)12月に、田部家の経営によって再興されました。明治40年に田部家はいよいよ、たたら製鉄の事業規模の縮小を決断し、多数の鈩が廃業となりますが、大吉鈩は、菅谷鈩とともに田部家で最後に残された2つの鈩のうちの1つで、菅谷鈩とともに大正12年まで操業が続けられました。
石碑は、一時的に鉄の需要が増大して活況を呈した大正5年(1916)に、創業10年を記念して鈩の労働に従事する人々によって建立されたもので、激動期を乗り越えてきた大吉鈩への感謝があったのかもしれません。地域にとって欠かすことのできない大吉鈩の歴史を刻む石碑は、今も地域の人々によって大切に守られています。
【認定No.74】上鴨倉の鹿島神社
三沢の上鴨倉に鹿島神社と呼ばれる神社があります。鹿島といえば、現在の茨城県(旧常陸国)鹿嶋市にある鹿島神宮が有名ですが、社伝によれば上鴨倉の鹿島神社も茨城の鹿島神宮から勧請したとされています。鹿島神宮は、出雲国風土記と同時期に編纂された常陸国風土記にも記載される神社で、国譲り神話にも登場する武甕槌神(たけみかづち)を祭神とする、出雲と関係の深い神社です。
上鴨倉の鹿島神社の由緒によると、武甕槌神が国々を巡り、鴨倉の地に至った際に、身体重く難渋され、「此処に鎮まりたい」とおっしゃったため、この地に宮を造ったとされています。勧請年については、雲陽誌を見ると、「鹿島大明神 武甕槌神をまつる、本社五尺に四尺、元禄十二年の棟札あり、勧請年代しれず、まつり日九月十一日」とありますが、一方で、社伝では承応年間(1652~1655)に勧請したとも言われています。いずれにしても17世紀には遡るものと考えられます。
上鴨倉の鹿島神社は、牛馬安全の守護神として、昔は仁多郡内各村はもちろん、遠く大原郡飯石郡からの参拝者も多かったといい、本殿の向かって右側には牛の石像が安置される神牛舎もあります。奥出雲は古くから牛馬の産地で、三沢では江戸時代より牛馬市も開かれてきました。また、武甕槌神は開拓神として五穀豊穣をもたらす神としても敬われてきましたので、地域の暮らしを支える生業と結びついて、特に牛馬の守護として知られるようになっていったのかもしれません。上鴨倉集落の氏神であり、地域の歴史を伝える神社として、今も変わらず大切にされています。
【認定No.75】上鞍掛の加茂神社元宮
上鞍掛に加茂神社の元宮と呼ばれている場所あります。同地には3つの石碑があり、中央は「分雷命大神」、向かって右は「縄久利大神」、同左は「社日五柱大神」と記されています。加茂神社は明治40年に三澤神社に合祀されていますが、現在でも元宮の地に神職を迎え、上鞍掛全戸で元宮祭りが行われるなど大切にされています。
勧請年代は不明ですが、三澤神社には「奉造栄賀茂大明神」と記した天文12年(1543)の棟札が残されているようです。また、雲陽誌を見ると、鞍掛の項には加茂神社に関係すると思われる記載はありませんが、当時仁多郡であった近隣の湯村、槻屋の項に加茂明神の記載があり、特に湯村は「別雷神なり、天正十八年三澤為虎再建の棟札あり」と記されていますので、中世には三沢の周囲に加茂神社に対する信仰があり、三澤氏にも崇敬されていたとみて良いと考えられます。
また、社名と祭神から京都の加茂別雷(かもわけいかづち)神社との関係も推察されます。加茂別雷神社文書や加茂町誌によると、寿永3年(1184)の時点で、現在の雲南市加茂町にあった福田庄は加茂別雷神社領であり、これと関連して元久2年(1205)に京都の加茂神社が福田庄に勧請され、地名も賀茂村となったようです。一方、この賀茂村にあった高麻城の城主に、中世出雲最大の国人領主であった三澤氏の一族と考えられている鞍掛氏を名乗る武士がおり、鞍掛氏は賀茂村の加茂神社に刀を奉納するなど崇敬していたようです。こうしたことを考えると上鞍掛の加茂神社も、三澤氏、またはその一族の鞍掛氏と何らかの関係があるのかもしれません。
【認定No.76】河内の金刀比羅神社
河内の山を奥深くに金刀比羅(こんぴら)神社がまつられています。勧請年については、雲陽誌には金刀比羅神社の記載が見られず、享保2年(1717)時点での成立は確定できませんが、延享元年(1744)の棟札があるとのことですので、この時点では建立されていたものと思います。
金刀比羅神社は、香川県の琴平町にある総本社から勧請したとされ、明治維新の際に村名を冠して川内神社と改称されました(当時の地名は「河内」ではなく「川内」でした)。その後、一町村一社を原則とする神社合祀令により、明治40年(1907)に一度は三澤神社に合祀されますが、村民の強い願いにより大正11年(1922)に再び分離され、同時に現社名に復されました。
金刀比羅神社については、雨乞いの守護神として信仰されていた、下口の金比羅さん(遺産認定No.26)のように、町内の他の場所にもありますが、河内の金刀比羅神社の大きな特徴は、現在の香川県の総本社は大物主神が祭神である一方、河内の金刀比羅神社では、金山彦命と素盞嗚命となっているところです。特に金山彦命は、西比田にある金屋子神社と同じ祭神で、金属と関係の深い神様ですが、付近では大吉鑪(遺産認定No.73)のように、近世よりたたら製鉄が行われ、鉄穴流しや炭焼き、鉄の運搬などといった仕事に関わっていた人々も多かったものと思われ、地域の生業の守護として大切にされてきた面もあるかもしれません。地域の信仰と、生業との関連を伝える興味深い神社の一つです。
【認定No.77】下鴨倉の建御名方神社
下鴨倉の小高い山の上に、建御名方(たけみなかた)神社が建立されています。伝えによると、この神社の建立には、中世に仁多郡を拠点として活躍した三澤氏が大きく関係しているようです。
三澤氏は信濃国の御家人、飯島氏が発祥とされ、承久の乱(1221)での戦功によって仁多郡に所領を得て来住し、三澤氏を名乗りました。たたら製鉄によって力をつけ、嘉元3年(1305)には、出雲国人の築いたものでは、県内最大規模といわれる三澤城を築いて、出雲国最大の国人領主へと成長していきますが、信濃国から来住する際に、故郷信濃国の一宮で建御名方神を祭神とする諏訪大社から勧請して、三澤城の鎮守としたことが始まりと伝えられています。
天正17年(1589)、三澤氏は毛利氏によって移封されますが、諏訪神社はそのまま残り、王子権現や鹿島神社へ合祀されるなどの変遷を経て、昭和44年、地元の熱意によって鹿島神社より分離され、現在にいたるようです。
雲陽誌を見ると、上鴨倉、下三成、横田など、各地に諏訪明神の記載があり、複数個所に祀られていたことが確認できます。三澤氏は、千利休の高弟、山上宗二から茶の湯の秘伝書を受領するなど、たたら製鉄によって生み出される富を背景に、中央の文化を積極的に吸収しており、地域に与えた文化的影響も大きかったものと考えられます。幾多の変遷を経て今日に伝えられる下鴨倉の建御名方神社は、良質な砂鉄を産出する奥出雲の地の利を活かして繁栄した三澤氏の歴史を伝える貴重な地域の遺産と言えます。
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