| 仁多米の振興 |
これまで島根米として扱われていた仁多米を別扱いとし、良質米に見合う生産者米価を実現するため、平成10年産米から仁多郡カントリーエレベーターでコシヒカリに限定した集荷と籾貯蔵を開始した。
カントリーエレベーター出荷米には、60kg(1俵)平均2万円となるよう、利用促進金を加算して生産者米価の底上げと農家所得の確保を図るシステムを構築した。
また、販売体制は、仁多町長を社長とする第三セクター「奥出雲仁多米株式会社」を設立し、生産から販売まで産地一貫体制を確立した。
さらに、平成11年4月、仁多町に「仁多米振興課」を設けて仁多米のブランド化と産直有利販売の増進を図った。
こうした取り組みにより、平成10年、仁多郡産コシヒカリが日本穀物検定協会の全国米食味ランキングで最高位の「特A」の産地に格付けされた。平成11年産米は天皇皇后両陛下ご訪欧の際、晩餐会にご下命を賜り全国に向けて大きくその名は知られることとなった。
平成12年、13年には郡内の農家かが食味鑑定士協会の金賞に選ばれ良質米の産地として評価がより高まり、それにふさわしい産地づくりのため、平成12年、仁多堆肥センターを建設し、堆肥により土作りを推進した。
カントリーエレベーターでは、色彩選別、今刷り米方式によって、高品質な仁多米販売が可能となり、全国に向けて産直販売を大々的に展開した結果、首都圏での顧客を中心に通信販売が着実に拡大してきた。
現在、有名百貨店、高級スーパーの店頭、大手ギフトカタログ、有名料亭でも取り扱われ、西日本の高級米として、「仁多米」の全国ブランド化がいっそう確実なものとなり、仁多郡産米全体の評価を高め米の価格は上がり、農業振興に大きな成果を挙げるに至った。

| 仁多米振興大会 |
仁多郡の特色ある米生産をさらに伸ばし、消費者の求めに応える良質米生産を目指して、平成14年1月、第1回仁多米振興大会を仁多町で、平成16年3月には、第2回大会を横田町で開催し、産地間競争に負けない“売れる米”づくりのために、堆肥施用や、減農薬栽培の指導を強化した。
15年産米から堆肥施用米は、カントリー集荷時に区分保管し別販売を行い“食の安全・安心志向”に対処した。
| 良質米の名声を確立した「仁多米」 |
仁多の土質や気候に適し、病虫害に強く、多収穫の稲作をと、品種改良を重ねてきた。そして奨励品種を指定して責任出荷を推進した。戦中・戦後の食糧増産時代から、良質で味の良いものへという多様な消費者指向に応えるべく、昭和44年(1969)自主流通米制度が新設されたとき、仁多町ではコシヒカリなどの重点品種10種を決定し、栽培・脱穀・調整・出荷と懸命に努力した。良質米の成立にはいろいろな条件があるが、なんといっても品種と生産地(気候・土質)、とりわけ昼夜の温度差が大きいことが良く、仁多は特に恵まれているといえよう。
昭和46年上三所西部出荷組合は、共同作業・出荷量・検査成績優秀であり、奨励品種以外は栽培しないという良質米生産体制が認められ、食糧庁長官賞を受賞した。
米の流通は従来農協のみであったが、昭和63年自由化により、集荷行者の参入が認められ、仁多町にも島根米穀が入り競争状態となった。また同年の食管法改正で小売範囲が町内から県下一円に拡大されたため、仁多町農協は精米機を購入して「純粋仁多米コシヒカリ」(贈答用)として売り出した。その売れ行きは順調で、米の確保に苦労するほどであった。
うるち米
昭和53年島根県産の「コシヒカリ」がAランクに格上げされた。過去2ヵ年の自主流通米の実績によって、特例により食糧庁の指定銘柄とされた。57年(1982)島根県の「コシヒカリ」団地育成事業により、仁多町では阿井堀団地が指定され、作付面積拡大・出荷量増大が図られた。堀団地では61年に生産地・消費地交流会が行われ、長崎県の大手買い入れ業者たちの田植えも行った。
良質米の主力品種の『コシヒカリ』は、イモチ病に弱く、倒伏しやすいなど栽培に難点がある。しかしうまい米・売れる米作りという大きな流れに乗り、指導が進めらて、広く栽培されるようになった。
昭和59年仁多米はその90%が自主流通米(全国6位)として京阪神・北九州・広島方面に「おいしい米仁多米」として着実に販路を伸ばしている。平成3年仁多町農協は、一類(コシヒカリ・日本晴)、二類(近畿33号・チドリ・やまびこ)、三類(その他)として、また贈答用コシヒカリや仁多米のおかゆとして消費者の要望に応えている。
も ち 米
仁多のもち米は、粘りと味は格別で、昭和47年ごろから町男女青年有志が、県下各地で、時には東京でも「餅つき実演即売会」を行い、PRの一役を果たした。平成2年の奨励品種はヒメノモチ・ココノエモチの2種で、昭和55年大手米加工工場から県下で仁多町だけが安定供給の指定を受けた。これは、昭和57年有利な契約栽培をして生産量の確保と品質の向上を図るため結成された仁多町もち生産者組合の活動によるものである。
平成2年農協は餅加工工場を建設し、「仁多もち」の販売を開始、今や需要に応じられないほどである。
(仁多町誌より)