■たたら製鉄と菊一印   ■集成館展示物   ■可部屋の歴史   ■可部屋集成館概要


■元祖 塙 團右衛門(1567-1615)
豊臣方に仕えた戦国武将で、1614年の大阪冬の陣本町橋の夜襲戦で見事大勝利を収め、
「夜討ちの大将」として一躍城中で花形勇士に数えられました。
その後、1615年の大阪夏の陣樫井の合戦にて討ち死にしました。
このとき塙團右衛門は48歳で、その墓は現在の泉佐野市にあります。
團右衛門の奥方は和菓子で有名な虎屋出身で旧姓を櫻井といいました。(虎屋文庫
虎屋の五世紀より)
また、團右衛門の四女は、戦国の猛将伊達政宗の側室に迎えられ、これ以後、伊達家と
深い繋がりを持つようになります。

■2代目 櫻井平兵衛直胤(1592-1652)
安芸国の大名福島正則に仕えましたが、徳川の時代に入り、浅野氏が城主となりました。
元祖(塙 團右衛門)と浅野氏は大阪夏の陣樫井の合戦にて敵対した間柄であり、自分の身
に危険が及ぶことを恐れた直胤は、母方の旧姓をとって櫻井平兵衛直胤と名を変え、浪人
となって、可部郷(現在の広島市可部あたり)に移り住みました。
浪人時代は生活に苦労するも、やがて高野(現在の広島県庄原市高野町あたり)にいい鉄が
あるという話を聞き、高野に移り住んで製鉄業を始めました。

■3代目 櫻井三郎左衛門直重(1619-1679)
2代目が始めた製鉄業を引き継ぎ、現在の島根県奥出雲町上阿井呑谷に移り住みました。
やがて、2代目の浪人時代の苦労を忘れぬよう屋号を「可部屋」とし、菊一印割鉄の名声を
高めました。

■4代目 櫻井勘左衛門直義(1656-1717)
四男とともに製鉄業を引き継ぎ、周囲の開発を行いました。
三男は現在の町可部屋(奥出雲町上阿井本町)の元祖です。

■5代目 櫻井源兵衛 利吉(1699-1773)
現在の櫻井家住宅(奥出雲町上阿井内谷)に居を構え、鉄師頭取役を拝命し、可部屋の製鉄
業を発展させました。

■6代目 櫻井勘左衛門苗清(1749-1819)
松江藩主松平治郷(不昧)公御成につき、本陣宿を勤めました。以後、藩主の来駕は6度に及
びました。
ちなみに、不昧公の奥方(正室)は伊達家から嫁いできており、元祖(塙 團右衛門)と伊達家の
繋がりもあって、松平家と櫻井家も深い繋がりを持つようになります。

■7代目 櫻井此三郎紀重(1778-1815)
6代目存命中に若くして亡くなりました。

■8代目 櫻井源兵衛脩民(1802-1848)
藩主より、代々苗字御免を拝命しました。
また、 御軍用方より葵御紋入り提灯と幟を預かりました。

■9代目 櫻井源兵衛直昇(1827-1861)
藩主より、代々帯刀御免を拝命しました。これにより、町民の位でありながら、武士と同格の地
位を認められました。

■10代目 櫻井三郎右衛門直達(1849-1908)
明治の時代に入り、貴族院議員に選出されるなど、多岐にわたり活躍しました。

■11代目 櫻井三郎右衛門直養(1881-1918)
仁多郡私立教育会長などを長年にわたって務め、地方教育の振興に尽力しました。

■12代目 櫻井三郎右衛門泰吉(1903-1991)
旧仁多町初代町長、島根県農業協同組合五連共通会長など、多岐にわたり活躍しました。

■13代目 櫻井尚
現在の櫻井家当主です。