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奥出雲の歴史 -風土記の時代-

奥出雲のことを記した最も古い書物の一つに、約1300年前に編纂された出雲国風土記があります。古代の奥出雲はどのようだったのでしょうか。ここでは現代に残る風土記の足跡をご紹介したいと思います。

 

 郡総記


現在も奥出雲町は仁多郡に属していますが、この「仁多郡」という名前は、約1300年前に出雲国風土記が編纂された時代にも使われていました。
仁多という地名の由来は、出雲国風土記によると「仁多と号(なづ)くる所以(ゆえ)は、天の下所造らしし大神、大穴持命(おほなもちのみこと)、詔りたまひしく、『此の国は、大きくも非ず、小くも非ず。川上は木の穂刺しかふ。川下は阿志婆布(あしばふ)這ひ度れり。是は尓多志枳(にたしき)小国在り』と詔りたまひき。故、仁多と云ふ。」と記載されており、湿潤で水田に適した肥沃な土地であることが語源となっています。

風土記が編纂されたころの仁多郡の中心地は、亀嵩地区にありました。かつて郡役所があった地区は、現在では郡(こおり)という集落名に、その名残を留めています。

 

 【奥出雲町指定史跡】岩屋古墳(仁多郡最大の古墳。地域の有力者の墓であったことは確実であり、この古墳をつくった一族が、やがて、出雲国風土記に登場する郡司につながっていくと考えられる。)

 

 【島根県指定文化財】常楽寺古墳出土品(人物埴輪や馬形埴輪などの形象埴輪は、島根県内でも出土例が少なく、雲南地方では唯一である。地域の有力者であったことはもちろん、他地域との文化交流を考える上でも注目される。この一族は、やがて、出雲国風土記に登場する郡司につながっていくと考えられる。)

 

 【奥出雲町指定文化財】カネツキ免遺跡出土品(奈良時代と推定され、蹄脚円面硯や墨書土器が出土した点で注目される。現在のところ島根県内でみつかった唯一の蹄脚円面硯であり、郡役所である郡家で使用されたと考えられる。大型で特別な硯であるため、郡司が使用したものかもしれない。)

 

 郡役所比定地

 

 


風土記の時代の仁多郡には、4つの郷がありました。それらの郷の地名は、1300年の時を経た現代に至るまで使い続けられています。


【三処】大穴持命が「この地の田は良い。だから自分の御領(御地=みところ)として昔から治めている」と仰せられたことに由来

【布勢】地域の古老が、「(この地は)大神(大穴持)命がご宿泊(宿せ=ふせ)になった所だ」という伝承を伝えたことに由来。

【三沢】出雲国造神賀詞奏上に先立ち使用する、不思議な効能のある水が湧き出す「御津(澤)」が所在することに由来。

 比定地①要害山の三沢池

 

 比定地②原田の三津池

 

【横田】地域の古老が、「郷中に田が四段ばかりあった。形がやや横長だった」と伝えたことに由来。



出雲国風土記仁多郡の条には、10の神社が記載されています。そのうち神祇官がいるのは、三津の社と伊我多気の社の2社と記載されています。

三澤神社(三津の社)

 

 伊賀多気神社(伊我多気の社)

 

山野・河川

 


 鳥上山(現在の船通山)

 


恋山(現在の鬼舌振 玉日女命伝説を伝える)

 

 



オキナグサ(白頭公として記載)